2011年08月13日

結晶

「結晶」

 岬で海を眺めていると、何かが沖から流れてくるのが見えた。目で追いながら足でも追う。時刻は午前四時。水平線がうっすらと紺色に色付き始めていた。
 漂着したのは海の色をした立方体のガラス箱であった。前のめりの体躯が湿った砂に沈み、その足元を波が洗っている。振り返れば僕の足跡。
 箱に居直る。
 真っ直ぐな辺を指先でなぞる。上の面をスライドさせると、ガラス板がずれて中が明らかになる。覗き込むと、そこにあったのは乱雑に詰め込まれた手首や衣服や靴や手紙であった。察するに持ち主は遠い国の少女のようである。一番汚れていなさそうなボールペンを選んで摘み上げた瞬間、太陽の上辺が顔を出し、ボールペンを始めとする箱の中のものを急速に溶かし始める。黒や赤などの様々な色の靄が立つ。潮風に流されていく。
 全てが溶けてなくなった後に残ったのは親指の爪くらいの紫水晶であった。それは僕が摘み上げても溶けることなく、光を受けてきらきらしていた。
 見つめ合う。
 僕は紫水晶を口に運び、嚥下した。おなかの辺りがぽっと温かくなった気がした。
 空になった箱は海へ押し返す。それが再び水平線の彼方に消えていくまで僕たちは見送っている。

***

タイトル競作「結晶」 △:2
お粗末さま。

広辞苑先生に結晶という語の意味をお伺いしてみると、かなり抽象的な意味であることがわかる。
しかし、字面から連想できるイメージは鉱物であったり化学物質であったりとかなり具体的なものなのだよな。
その辺りのギャップが難しいタイトルだったなぁ。という感想。
posted by いさや at 02:14| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月26日

江國香織「なつのひかり」

江國香織「なつのひかり」

毎年夏になるとこれを読む。近年は意図的にそうするようにしているのだけれど。
読むたびに読了後の印象が変わる。
初めて読んだときはまだ18歳で、他の人に遅れてたくさん本を読むようになった時期だった。初読の印象は、「なんじゃこりゃ」。そこに込められたメタファーとか構造みたいなものはまるでさっぱりわからない。でも、異世界を彷徨するような感覚が、なんとなく、好きだった。
次に印象が変わったのは、21歳のとき。最後の、

 そして、私は二十一歳になった。

ですとんと腑に落ちた。何がどう落ちたのかといえば、その当時の自分の言葉を借りれば、「なんかよくわかんないけど何かがすとんと、ね」。

そして今年。
今年はなぜか(と敢えて濁してみる)、順子さんの視点で読めた。
この話では繰り返し繰り返し、誰かが誰かを捕えている関係が出現する。順子が幸裕を、幸裕が私を、薫平がナポレオンを、動物園が猿を、両親が兄と私を、子供たちの親がはやと・浩次・彩子を。その関係について、捕える側が関係の維持に躍起になったり、捕えられる側が逃げだそうと奔走したり、あるいは捕われていることに安心したり諦めていたり。そういう連鎖的なつながりの頂点にいるのが“順子さん”なのだよな。
この関係のほぼ枠外にいるのが、遥子であり、あるいはめぐみだったりする。彼女たちはほとんど将来性のないこれらの関係を、遠慮なしに力強くぶち壊す。だから大変まぶしく見える。

この作品の最大の謎(と思っているもの)は、ベティ。
唐突に、しかしずっと昔からいたかのよう文脈に馴染んで出現するベティという登場人物については、ほとんど何も語られていない。最後数ページでちょろっと出てきて、それっきり。あまり表に出て来ない人格であり幸裕と順子さんの結晶なんだろうと踏んではいるけど、推測の域は出ない。存在がすごく抽象的。
だけど、この存在がこの作品の核であり、歪みの象徴なんだろうと思う。
posted by いさや at 16:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月25日

ペパーミント症候群(リライト)

「ペパーミント症候群」

 瓶の中のホムンクルスにペパーミントの種が根付いたので、その子だけ他の子とは異なる特性を備えるようになった。根が彼女の背を割り、芽吹いたばかりの双葉が青々しく、檸檬色の培養液の中で翻る様はまるで翼が生えたようだった。ホムンクルスは混沌とした意識の海を漂う。
 最初の変化は、容姿に対する関心の発現だった。髪をいじる、伸びた爪を噛み切る、瓶の内壁に映った自分自身を観察する。瓶の中にビーズを数粒投入してみた。彼女は培養液の中を泳ぎ下り、拳大のビーズを持ち上げる。翌日にはビーズに髪を通し、頭頂部でまとめていた。
 そこで今度は苺味の飴の欠片を投入してみた。しかし味覚はまだ発達していないようで、明りに透かすに留まった。
 次に衣服を作成し投入する。彼女はそれが何なのかわからないようだった。瓶の前に子役モデルの写真を立てる。するとその日のうちに彼女は衣服を着ることを学習した。
 まったく驚くべき発見であり、私は興奮した。しかし間もなく彼女は恋煩いを発症する。瓶に手のひらを押し当てじっと私を見上げている。

 月夜の晩に彼女は亡くなった。瓶の蓋を開けると、ミントの香りがぷんと漂った。

***

「ペパーミント症候群」リライト。

 その昔、瓶詰妖精というアニメがございました。
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2011年06月13日

スイーツ・プリーズ

「スイーツ・プリーズ」

「お菓子が食べたい」
 病気のために満足にものも食べることを許されない君の願いを、どうして無碍にできるものか。どうせ死ぬなら最後は好きなことを好きなように好きなだけやってみればいい。
 細い足にぶかぶかのスニーカーを履かせ、夜勤の看護師たちの目を盗んで外へ出る。

 夜行バスに乗って辿り着いたのは海辺の知らない街。白亜の壁が海岸沿いに並ぶ町並みはまるで異国のようだった。
 通りを歩いて目に付いた洋菓子店に入ってはショーケースに並んだ宝石みたいなお菓子を右から左まで全部買い占める。デパートなんてすごく大変だった。
 買ったお菓子は全てホテルに運んだ。テーブルやベッドに並べ、バスタブにも並べ、それでも場所が足りないから床に並べ、しまいには足の踏み場もなくなった。
 すっかり日が暮れる頃には君が満足できるだけの量が集まったらしい。頬に手を当て「どれから食べよう」なんてうっとりしている。好きなだけ食べるといい。ショートケーキ、シュークリーム、羊羹、板チョコ、タルトにマカロン。
 君は恐る恐るケーキのイチゴを口に運んだ。じっくり味わう。咀嚼されたイチゴが細い喉を下る様子がよく見えた。プラスチックのフォークをスポンジに刺し、口に運ぶ。今にも泣きだしそうな顔で味わっている。次の一口へ。やがて君はフォークを投げ出し手づかみでお菓子を頬張るようになる。胸焼けを起こして戻しても、君は手を止めない。
 僕は病院に電話をする。携帯電話を折り畳んでしまったとき、君はお菓子の海の真ん中で背中を丸めていた。

***

632文字につき制限オーバー。

昨日は第12回文学フリマ。初めて行ったときはまだ第3回とかだったような気がするから、ずいぶん時間が流れたもんだなぁとしみじみ。
超短編マッチ箱の最新作や、幽明くんや若千さんのところの新刊が主な戦利品。
夜は夜で素敵な皆様にはげまされましたことよ。ちくしょう。
posted by いさや at 11:43| Comment(2) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月09日

天空サーカス

「天空サーカス」

 引力が斥力に変わったとき彼らは母なる星を追いやられ、以来流浪の民となる。
「上も下もなくてね」
「ぴょんぴょん跳ね回ったってみんな欠伸しちゃう」
「困っちゃったね」
 球状のドームの全方位に客はいた。無重力の世界でジャグリングや火の輪くぐりをやっても、客は退屈そうにため息をつくのだった。
 彼らは途方に暮れた。かつてのやり方はもはや通用しなかった。
“かつてのやり方”
 彼らは顔を見合わせる。
 以下はプログラムを一新してから最初の公演記録である。13歳のシャーリは舞台の袖で、爪先に神経を集中させていた。

(暗闇)
 かつて我々は一つの星で暮らしておりました。生まれた時から重力が私たちを縛り、我々にとって空とは見上げるものでした。不幸でしょうか? いいえ、決して。
(照明)
 シャーリが11歳になった最初の朝、彼女の枕元には真っ赤な靴がありました。彼女はプレゼントを履き、早速家の外に飛び出しました。靴は足によく馴染み、足を繰る度に芝が柔らかく彼女の体を押し返すのです。そうして緑の丘を駆け登り、海の見える高台で仰向けます。火照った体を潮風が冷やし、眼前には空が迫っていました。
 重力。
 赤い靴はとてもすばらしいプレゼントでした。

***

タイトル競作「天空サーカス」 ○:1、△:1、×:2
無重力でジャグリングなんて難しいだろうになあ。
posted by いさや at 22:44| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

超短編の世界3

「超短編の世界3」創英社、発売中。
拙作からも五作ほどお邪魔させてもらってます。
今回は作品のレイアウトに大して並々ならぬ工夫が凝らされております。
こちらの内容で言うところの構成内容にまで踏み込んだ編集の結果、同じ作品であってもウェブ上で見た場合より魅力的に生まれ変わった作品が多いと感じました。
posted by いさや at 00:38| Comment(0) | 書籍掲載他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月23日

あおぞらにんぎょ

「あおぞらにんぎょ」

 南風が白雲に彫りつけた人魚が意思を持ち、泳ぎ始めた。長い尾を上下させて泳ぐ姿は青空に紛れてしまいがちなので、大抵の者は人魚の姿を見ても、気のせい、で済ませてしまう。しかし噂は噂として存在し、やがて一人歩きを始め、恐ろしい魔物に成長する。だが当の人魚はそんな人間の噂話など知るわけもなく、今日も気球や戦闘機の底を、こんこん、と叩いては遊んでいる。

***

書いたものの気に入らんかったので出そうかどうか迷っているうちに今に至る。
覚えているうちに吐き出さしておかないと他データに埋もれて失くしてしまいそう。
実に難しいタイトルでございましたことよ。

忙しい時期が終わったのでぼちぼち書き物も再開していきたい。
書き始めて以来、こんなに書かなかった時期が続いたのは初めてだったなあ。
posted by いさや at 22:07| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月23日

『彷徨日和』パブー

『彷徨日和』パブー

posted by いさや at 12:23| Comment(0) | 書籍掲載他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月12日

親指の交換

「親指の交換」

 遠くへ行ってしまう彼女と親指を交換した。決して厚くないはずの手のひらが無骨に見えるほど、彼女の親指はほっそりとして生白かった。ぎゅっと親指を四本の指で包み拳を握ると、彼女と手を繋いでいる心地がした。
 たとえば親指に口付ける。神経は彼女のものであるので、僕の手元にある親指から直接唇の感触を得ることはできないが、間もなく柔らかい唇の感触が親指があるはずの場所に生じる。彼女もどこか遠くで同じように口付けているのだ。僕たちはそのようにして意思疎通を図ることができる。親指に絡みつく風の冷たさで向こうの空気の具合がわかる。二人で一緒に犬の背を撫でることもできる。拳を握る強さで今愛おしく思っている程度だって伝え合うことだってできた。
 ある晩のことだった。突如親指がかっと熱くなったかと思うと、それはたちまち激痛に変わった。驚いて冷水に指を突っ込むがそれで痛みが治まるはずもない。目尻に涙が浮かんだ。蛇口から噴出する水の音も遠のくほどに親指の神経から伝わる刺激が脳をがんがんと叩いていた。彼女に一体何があったのだろうか――問うても答えに挙がる候補は限られ、いずれも不吉だった。
 翌日、彼女のアパートが焼けたことを知った。隣人の煙草の火の不始末だったという。彼女の消息は知れなかった。どこかの病院に搬送されたのか、あるいはそのまま帰らなくなってしまったのか。足の向く限り消息を追ってみたけれどとうとう見つからなかった。
 親指を擦る。しかし返事が返ってこない。僕の親指の感覚もまたすっかり消え失せてしまっていた。だが彼女の親指は今なお瑞々しく、爪も伸び続けている。
 どこにいるの?
 げんき? 
 楊枝で親指に手紙を書いている。

***

フシギな恋の超短篇に出し損ねたなにか。
posted by いさや at 14:28| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月11日

I'm home

「I'm home」

 満月の晩、我々は一斉に舟を湖に出す。櫂で水を掻き、ぐんぐん進むと間もなく湖の中央へ辿り着く。その湖は広大で全方位に渡って水面が空を切り分けていた。
 その湖の下には都市が沈んでいるのが見える。尖塔がいくつも連なった台地の砦だ。しかしよくよく見てみれば哨兵が立って巡回しているのが見える。鷲の大旗は雄大にそよぎ、門から豆粒みたいな馬車が出入りする。
 我々は長の言葉を待つ。長は立ち上がると周囲をぐるりと見回し口を開いた。
「かつて我々は郷を追いやられ、流浪の世紀を過ごした。しかし今、我々は帰ってきた。年月は我々の体を変えたが心は不変であり続けた。諸君はその胸に手を当てるが良い。諸君の胸に溢れるものは何だ」
 感極まった一人が、帰りたい、と叫ぶ。連鎖的に皆が声を上げる。帰りたい、帰りたい、帰りたい、帰りたい、帰りたい!
「帰ろう、我々の郷へ」
 そして我々は湖へ身を投げた。水は肺に満ち満ち、頭を朦朧とさせる。それでも帰郷を諦める者はいない。代わりに一人また一人と息絶え身を浮かべていくのだ。長も息絶えた。しかし我々は諦めない。醜悪な翼が水を泳ぐひれに変わり、鋭い爪が水を掻くひだに変わり、柘榴色の肺が水で呼吸するえらに変わるまで。意識が途絶える狭間で我々は我々を阻む水の抵抗がだんだんと薄らいでいくのを感じていた。そして青灰色の景色がその色を失い代わりに草木の緑や城壁の灰色が鮮やかに映えるようになる。ここはもはや水の中ではない。大気である。魚に身を変えた我々はぼとぼとと地表へ落ち、瞬く速度で進化を始める。魚類から両生類へ、爬虫類へ、そして哺乳類へ。急速な進化は我々の体に更なる負担を強いた。その過程でまた多くの仲間が耐え切れずに倒れていった。今や生き残っているのは初めの百分の一にも満たない。我々は瞬く間にヒトへ進化したが、しかし試練はまだまだ続く。ヒトの更なる先へ。脳の肥大化と体の縮小化の時代を経て続くは、それに対する反動とも言うべき肉体の過膨張、肉体が肉体を飲み込む、我々は我々と融合する。
 ――どれほど時間が経ったことだろう。気付くと我々は痛みを乗り越えていた。我々の周りには郷の者らが集い我々を囲んでいる。我々は彼らを懐かしい面持ちで見下ろし、ようやっと口を開く。
(我々は帰ってきたのだ!)

***

文芸スタジオ回廊様の1000文字小説企画に投稿。
posted by いさや at 02:36| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする