2017年12月07日

月兎のユベロ

  一.
 月兎たちは思い思いに青い地球を見上げていた。真っ暗な宇宙で眩しく輝く地球――月兎たちは宝石を見るような心地でそれを眺めていた。
 月兎のユベロは、他の月兎たちと比べて一際強い好奇心を持っていた。彼はたとえばこんなことを思う。
(あの星はどうしてあんなに青いのだろう)
(あの白いもやもやとしたものは何なのだろう)
 ユベロのつぶらで黒真珠のような瞳に映る地球は、決してただの宝石ではなく、何か伺い知りようもない大きな秘密を持っているもののように見えた。ちょっと強く跳んでみれば届きそうなくらい近くにあるようで、実は全然届かないくらい遠くにあるから、ユベロはいつももどかしい心地になる。
 音も聞こえない、匂いもしない、ただそこにあるだけの大きな秘密は、ゆっくりと回転しながらユベロたちの空に鎮座しているのだった。
 一羽、また一羽と、地球を眺めることに飽きた月兎たちが思い思いの場所に散っていく。
 最後まで残るのはいつもユベロだった。時々思い出したように耳やひげを動かして信号を送ってみるが、返事が来たことはただの一度もなかった。

  二.
 月兎たちのコロニーは月の裏側にある。
 コロニーといってもそれは球状の光の珠であった。直径は月兎数十羽分相当で、地表から月兎一羽分の高さに浮かぶ巨大なものだった。
 年老いた月兎は、ぴょん、と光の珠に飛び込むと、溶けて新たな仔兎として生まれ変わる。生まれたての仔兎はくすんだ茶色であるが、毛皮が日の光を浴びているうちにすっかり白く輝く立派な月兎へと成長し、光の珠に還る頃には珠と同等かそれ以上の白い輝きを身に纏っているのである。
 こうして完全に循環している月兎の社会システムがいつ始まったのか、そしていつ終わるのかは誰にもわからない。
 ユベロは丘の上からコロニーを見下ろしていた。
 ――いつか自分もあそこに還る日が来る。そのとき自分は、溶けて消えて再生産されることに抗わずにいられるのだろうか……?
 豊かな光で満ち満ちた月兎が一羽、軽やかな足取りで月面を駆け、弧を描いてコロニーに飛び込んだ。
 コロニーは、ぼうっ、と一層強く輝き、それからゆっくりと元の明るさにもどっていく。
 そして、新たな月兎がもぞもぞとコロニーの奥で蠢き、注意深く見ていなければ誰も気付けないくらい、ひっそりと生まれ落ちた。
 仔兎は左右を見渡し、耳をピンと立て、ひげを揺らす。自分が為すべきことは何か。使命感にも似た本能で日光が当たる場所へ駆けていく。
 ああ無理だ、とユベロは思う。
 自分は、あんな風に盲目的にはなれない、なれっこない。集めてきた光をコロニーへ誇らしげに還元させて一生を終わらせるなんて、ぞっとする。
 まったくいつからユベロは懐疑的になってしまったのだろうか。考える間でもなく、それは、あの大きな秘密に魅せられた時からだ。一度気付いてしまったのなら、もはやただの月兎ではいられない。

  三.
 月兎たちがユベロを遠ざけるようになったのか、ユベロが離れていったのか定かではないが、いつからかユベロは月兎の群れから孤立するようになった。ユベロに言わせればそれは月兎からの独立であったのだが。
 見晴らしの良い丘を選んでそこを根城とする。起きているときは大体地球を見上げている。爪など何か固いものがあれば、地面に考えていることを書き留めることもできたのかもしれないが、ユベロの丸い手足ではそれも適わないので、意識を集中させて、その目に見えたものやその頭で考えたものの全てを記憶する。
 最も怖ろしいことは、記憶に留めたものを忘れてしまうことではなく、忘れてしまったことを忘れてしまうことだ。
 記憶に穴ができないように、ユベロは記憶を時系列順に思い起こすのだ。そのとき、最初に思い出すのは、視界いっぱいに広がる青い地球だった。あれほど澄んだ青色を、ユベロは他に知らない。今目の前にある青色も十分驚くべきものであるが、最初の記憶にある青色はそれ以上に青かった。
 哲学するユベロの立ち姿は、他の月兎たちにとってはまったく理解し難いものだった。時々、何も知らない仔兎がユベロの近くまで行くが、あの哲学する月兎は自分たちとは異なるものであることを何となく察して、離れていくのだ。

  四.
 ながい月日が流れ、ユベロはすっかり老いた。
 思考は逡巡し、宙に浮かぶ大いなる秘密にはほんの少しも触れなかった。もはや無感動になった憧れを胸に、ユベロは地球を見上げている。
 ユベロはもう自分がながくないことを知っている。どれだけの時間を過ごしたかも憶えてないが、結局ユベロは地球を見上げて思考することしかできなかった。何も成せないまま、何も残せないまま、自分が消えていくということが怖ろしくて悔しい。何かを残そうにも手段がなかった、誰かに伝えようとしてもここにいるのは無関心で無感動な月兎たちだけだった!
 そのとき瞳から流れたのが涙であったことをユベロは知らない。しかし溢れた黒色の涙は、ユベロの白く輝く毛皮を、触れたそばから黒色に染め上げていく。黒色の汚染はじわじわと広がっていき、やがて全身に染み渡った。ユベロは自分の身に起きた変化に気付いていない。
 ユベロはゆっくりと腰を上げた。どうせ最後なのだから、最後くらい月兎の使命に従順になるのも良いのではないか――しかしユベロはすぐに腰を下ろしてしまう。ただの一瞬でさえも、目を逸らしてしまうことがもったいなかったからだ。意識が果てるその最後まで、ユベロはユベロであり続けた。これがユベロの誇りだった。

  五.
 その頃、コロニーで一つの変化が起きていた。
 コロニーは、ぶるっ、と身震いをすると、隠れていた耳や手足を伸ばし、一羽の巨大な月兎になった。
 辺りにいた月兎たちは目覚めた女王に傅き、後に従った。

 月兎の女王はゆったりとした足取りで地球がよく見える丘へ向かう。

 辿りついた丘の先端では、ユベロが凛と鼻先を地球に向けたまま事切れていた。
 女王はしばらくユベロを見下ろした後、ユベロに並んで腰を下ろし、ユベロがそうしていたように地球を見上げる。しかし女王にとってそれは、綺麗な青色の宝石以上のものではなかった。一体何が、このかつて月兎だったものを突き動かしたのか。
 女王は顔をユベロに近付け、口を開くとユベロを丸呑みにしてしまう。
 再び女王は地球を見上げる。ピン、と立てた耳の右側の先端に、うっすらと黒い筋が浮かんだ。女王は青い宝石を飽きるでもなくただひたすら眺めていた。

  六.
 それからはるか未来のこと。
 地球からやってきた月面調査隊は、降り立った月に何の生命の痕跡も見つけられず、月はただの無機質な岩の塊であると結論付けた。

posted by いさや at 20:35| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

秋の牢獄

 罪を犯したのか、あるいは逃避の末に自ら望んだのか、記憶はないけれども私は秋に閉じ込められた。
 まばらに生える木々は皆枯れているが、背は高く、先端はよく晴れた空に吸われて消えている。その空の彼方から雨のように赤や黄色に染まった枯れ葉が降ってくる。歩けばさくさくと乾いた音がする。土の匂いがする。
 遠くから、木を切る音が聞こえる。こーん、こーん、と甲高い音だった。
 音の元を辿ってみると、そこにいたのは木こりの男だった。巨大な背中を丸めて根に近い幹に斧を当てている。やがて木は自重に耐えかねて折れた。その様子を私と男は眺めていた。
「家まで運ぶんだ。手伝ってくれんかね」
 男と二人で長い木を小屋まで運ぶ。運び終えたら男はその場で木を細かく断ち切る。薪にするのかと尋ねたら、そうだと男は答えた。私はその様子を眺めている。男は慣れた手つきで薪を作っている。
 それから数百日、男と暮らした。幾度となく肌を重ねあう間、様々な獣の毛皮を剥ぎ、男と私は冬に備え続けた。しかし冬が訪れる気配はない。
 行為はいつも唐突に始まる。男が私を組み伏せる。その間私は枯れ葉がとめどなく降ってくるのを眺めている。まだ私は埋もれないらしい。

***

「もうすぐオトナの超短編」たなかなつみ選自由題最優秀賞
posted by いさや at 20:33| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

灯火ひとつ

 六角形の閲覧室で本を読む。この図書館にはありとあらゆる書物が収蔵されている。

【任意の自然数n, mについて、n種類の文字を用いたm字の文章はさながらn進法で表現されたm桁の数字とも呼べるものであり、これらは可算無限集合である。もちろんこれらのうち我々にとって意味を成す文章となるものはごく一部であるが、無限から一部を切り取ってもやはりその集合は無限である。】

 ページを捲りながら私はノイズの海を泳いでいる。時折意味を成す単語や文に出会うが、それはすぐにノイズの波に飲まれてしまう。一冊を読み終えた後で心に残るのは一瞬浮かんで消えた単語や文である。それらは私の心を揺蕩いながら居場所を探している。

【物語がnのm乗で表現されるとき、我々が疑似体験する遠い異世界や誰かの心情はnのm乗個以上のものにはならないのだろうか。】

 遠い昔に見つけた一節を思い出す。機械的な文字順列の偶然の産物が物語は有限か無限かの境界を問うていた。それはどこにあるのだろう。きっと、読み手である私の心にあるのだろう。もしも私の心こそが、浮かんで消える偶然に彩りや魂を持たせているならば、それらは集まりいつか大国のレリーフを刻むのだろう。

***

「もうすぐオトナの超短編」松本楽志選兼題(此処ではない何処か)
http://libraryofbabel.info/
posted by いさや at 20:32| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

素敵なおはなし

 世界は一本の長い紐でできていて、複雑に、緻密に、丁寧に編まれている。空も大地も、生命も、社会も、全てが一本の紐で繋がっている。
 しかし世界は一本の紐であるのだから、必ずどこかに端がある。その端が自分の右手の小指であると知ったとき、少女は恐ろしくなり、誰にも明かさない秘密にしようと誓った。なにせ、小指を引っ張ると指はどこまでも伸びて、山が崩れたり学校の先生が失踪したりするのだから。
 彼女は夢想する。世界のどこかに、自分と同じように世界の端を持っている人がいて、自分たちは結ばれるのだ。世界は環になれる。そんな運命の人が世界のどこかにいる。
 数年後、果たして彼女は世界の端に出会う。誤算なのはそれが蛙だったことだが、大した問題ではない。不自然に伸びた左足を編んで整えてやり、彼女は自分の右手の小指と運命の蛙の左足を絡めて結ぶ。彼女は蛙の真っ黒な瞳を愛しげに見つめ、そして優しいキスをする。

***

「もうすぐオトナの超短編」タカスギシンタロ選自由題最優秀賞 
posted by いさや at 20:26| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月20日

声と音の境界

【声と音の境界 1】

 声とは喉を通じて発せられた音であるから、声は音の一部である。その声のうち、さらに一定の法則に従って調整されたものは、同じく一定の法則を共有する者同士の間では言葉の代替として認識され扱われる。
 言葉が通じる、とは言い換えれば「あなたと私は法則を共有している」ということの確認に他ならない。
 だから我々は言葉が通じることそのものに安堵する。
 たとえばあなたが日本人で、異国の地へ行ったとき、同じく日本語を扱える人と出会ったときに感じる安堵にそれはとてもよく似ている。

【夢の中の恋人 1】

 夢の中でする恋は純粋な恋心だけでできているので、とても甘酸っぱい。夢から醒めてもまだ仄かに恋心の熱が残っていて、その余韻だけで焦れてしまう。どこかに本当に夢の中で恋した恋人がいるのではないかと思うほどは、しかしながら、私ももう若くない。
 人にはそれぞれ人のことを好きでいられる適性距離というものがある。遠くで見ているから、滅多に会わないから、好きでいられる人というものがいる。その距離を縮めてしまうと今まで見ないで済んでいた部分が見えてしまって、途端に冷めてしまうことも珍しくない。
 夢で恋した恋人は大抵そういうものだ。
 姿形もおぼろげで、どんな声をしていたかなんて目が醒めたときにはほとんど忘れてしまっている。しかし焼けるような感情だけは生々しい。
 私が本当に恋しているのは、そういう生々しい感情である。夢の中の恋人はそういう感情が宿るための偶像に過ぎない。私は偶像に恋をする。偶像はその場から動かないのが良い。距離を自分で決められる。

 そんな夢で目覚められた日は幸せである反面、少なくとも午前中はほとんど頭が働かない。
 夢の中で経験した感情を反芻する。言葉はいらない。断片的に思い浮かぶ映像群が、強いて言えば言葉の代わりである。徒労と知りつつも映像群を写真として記憶に収めるのだ。

 午前10時を過ぎてようやく身を起こす。
 簡単に身支度を整えたら家を出る。
 夢の中の恋人への恋慕を秘めたまま、現実の恋人とデートをする。

【声と音の境界 2】

 声と音の境界について考えてみよう。
 既に述べた通り、声とは音の一部であり、一部の声は一定の法則を共有する者の間では言葉の代替として使われる。
 議論の単純化のために、ここでは一定の法則に基づく声のみを「声」として言及し定義しよう。裏を返せば、一定の法則に基づかない声は、たとえ人の喉を震わせて発せられたものであっても「声」には含まない。あくまでそれは「声」ではないただの音である。
 このような定義を行った時点で既に解が半分出たようなものであるが、声と音の境界がどこにあるかと言えば、それは一定の法則の有無である。
 一定の法則に従って発音された一定の意味を持つ単語は、その法則を共有するような人の頭に私がその単語を発したという情報が伝わる。
「りんご」
 と私が言えば、私と法則を共有するあなたは、りんごを思い浮かべる。赤くて甘い果物を思い浮かべる。
「げほな」
 と私が言っても、あなたはきっとおそらく何も思い浮かべられない。数多の無理やりな前提を置けば解釈できるかもしれないが、直接的には何もわからない。それは、げほな、という音で発せられる語は私とあなたが共有する言葉の辞書には含まれていないからだ。だから私が「げほな」と言っても、大抵の場合、あなたはそれをただの音と認識する。もちろんあなたも「げほな」と発音することはできる。しかし口にしてみて明らかであろうが、それはただの雑音である。
 声が声としてあなたに伝わるためには、私とあなたはまずお互いを知るところから始めないといけない。
 私とあなたに必要なのは、究極的には9年間の義務教育ではなく、ある対象について言及する時はこのように述べる、という法則の共有である。

【南国の流刑島の少女 1】

 喉を潰された少女は遠い南国の流刑島に幽閉された。
 最後に少女が人の姿を見たのはもう3日も前のことで、彼は疫病にかかっていた。顔中に黒色の斑点を浮かべ、少女に呪詛を呟きながら血を吐き息絶えた。しかし残念なことに、少女に言葉が通じなかったので、少女にとってはその呪詛はただの音でしかなかった。
 牢の中に取り残された少女は、這い回る鼠を捕えて飢えを凌ぐ。鼠の生き血はぞっとするほど不味かったが、それでも食べなければ少女は生きていけなかった。
 日が昇り沈む。入れ違いでやってくる夜。月が昇って沈む。
 眠りにつく度に、もう自分は目覚めないのではないかと少女は怖くなる。しかし、このままどこにも行けないのなら、いっそ目覚めないのも楽で良いのではないか。
 そんなことを考えているうちに眠りにつき、残念なことに少女は目を覚ましてしまう。
 せめて最後に何か残せればと思うのだが、石壁は固く何も刻むことができない。

 壁に背もたれ、胡乱な瞳で鉄格子から空を見上げる。
 そのとき不意に気付く。
 鉄格子の長さが不ぞろいであることに。

 少女は立ち上がり、疑い半分で鉄格子を鉄皿で叩いた。
 キン、キン、と甲高い音ではあったが、その音には多少の高低があった。
 もはや遠い昔に思える頃に学んだ音楽を思い出す。
 記憶の中の音楽と今発することができる音は同じではないけど、しかしそれに近いものはできる。

 ――わたしは、歌をうたえる。

 背筋が凍りつくようだった。
 歌をうたえる、歌をうたえる、歌をうたえる!
 少女は鉄格子をひたすら叩く。叩きながら言語体系を築き上げる。この音の組合せはこういう意味、こっちの場合はああいう意味。

 言いたいこと、叫びたいこと、ありったけを込めて鉄格子を叩き、二日後少女も息絶えた。
 南国の流刑島は静かになった。

【声と音の境界 3】

 私が声だと思っているものは、果たして本当にあなたにとっても声だろうか。
 端的に問おう。
 私の声はあなたに届いているだろうか?

【夢の中の恋人 2】

 案の定、デートは最悪だった。
 私は終始上の空で、そのことに恋人が腹を立てたのである。だから私が悪い。まあ、それはいい。
 悲しかったのは恋人の言葉が全然耳に入ってこないことだった。悲しいと言うと多少語弊があるかもしれない。正確には、恋人が何を言っているのかが全く理解できなかった。私にとってそれはただの音に過ぎなかった。音でしかないと思ってしまうことに驚いた。

 家に帰ってから携帯電話を見てみると、メールや電話の着信、留守番電話が大量に来ていた。見なくても内容は大体分かる。考えるのも嫌だったので、全部消した。
 着替えもそこそこにベッドに潜りこむ。
 しかしもう夢を見ることはできなかった。

【声と音の境界 4】

 声と音の境界が、私とあなたの間で共有される法則にあるのだとするならば、なぜそのような法則が存在するのだろうか。あるいは、なぜそのような法則が存在しなければならないのか。
 私が声を音ではなく声として発するのは、あなたに何かを伝えるためである。
 私が声を音ではなく声として理解するのは、あなたが私に何かを伝えたがっているという意思を汲むからである。
 互いを知り知られたいという意思が前提にあって初めて声と音は区別される。

 ならば理解されることを放棄した声は声となり得るだろうか?

【南国の流刑島の少女 2】

 南国の流刑島には珍しい種類の鳥が生息していた。それは聞いた音を正確に再生することができる鳥で、その精度は鸚鵡の比ではない。
 少女が息絶える最後の瞬間まで歌をうたい続けていたために、その鳥たちはすっかり少女の歌を記憶した。さらに、他に記憶すべき新たな音もなかったため、以後少女の歌は何代にもわたって鳥たちの間で歌い継がれていき、その間に少女の歌が鳥の鳴き声として定着した。

 数世紀が流れ、何も知らない冒険者たちが南国の流刑島にやってくる。

 鬱蒼と茂る原生林の奥深く、冒険者たちは沢のほとりにテントを張り、眠りにつく。
 やがて夜は明け、鳥たちがけたたましくキンキンと鳴き叫ぶ。
「うるさい鳥たちだ」
 と冒険者たちは鳥を撃ち殺そうとしたが、見た目があまりに鮮やかで美しかったので、本国に持ち帰れば金になると考え鳥を乱獲した。

 鳥たちは木箱に詰められて冒険者たちの祖国へ運ばれて行き、南国の美しい鳥として珍重された。
 以来、少女の歌は図らずも多くの人の耳に入ることとなったが、誰もそれを少女の声とは理解しなかった。

【声と音の境界 5】

 結論から言えば、理解されることを放棄した声は声となり得る。それは可能性がゼロではないという意味での「声となり得る」である。
 声は声として聞かれて初めて声となる。言い換えれば、声として聞かれないものはいくら声として発せられても声としてはあなたに認識されない。
 声と音の境界は、究極的には受け手の解釈に一存してしまう。
 声を声と思わなければ、それはただの音である。

 故に二つの示唆が得られる。
 第一に、あなたが声に耳を傾ける姿勢と努力を忘れないでいる限り、声は声としてあなたの耳に届くだろう。そしてもしかしたら、声として発せられなかった音さえも、あなたの耳には声として聞こえることがあるかもしれない。
 第二に、もしあなたの声が私に理解されなかったとしても、私以外の誰かには声として聞こえるかもしれない。私にはあなたが声と思って発しているものはただの音にしか聞こえないけど、いつか誰かがあなたの声を理解してくれるかもしれない。
posted by いさや at 22:17| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月19日

青い鳥

 男が青い鳥を見つけたとき、鳥たちは二、三羽集まって人の肉を啄んでいた。青い鳥たちはゲエッ、ゲエッ、と耳障りな声で鳴き、饗宴を楽しんでいるようだった。
 石ころを投げて鳥どもを追い払った。青い鳥たちは高枝にとまり、未練がましく餌を見下ろしていたが、間もなく飛び去っていった。
 それは齢が十にも届かないような少女であった。眼球は既に無く、頬や腹部など柔らかそうな部位が優先的に喰われていた。せめて、鳥たちに弄ばれたのは彼女が息絶えた後であることを願うばかりであった。
 どうか安らかな眠りを――。
 男は少女を仰向けに寝かせ、固くなり始めた手を胸の上で重ねさせる。
 そして祈りの言葉を口にしようとしたそのとき、
「天国に行けないじゃない!」
 少女が無いはずの眼を見開いて叫び、今度こそ息絶えた。
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2013年01月29日

情熱の舟

 A氏は常に言いようもない悲しみに包まれている人だった。その正体が何であるのか、A氏自身は理解していたのかもしれないが、私にはわからないものだった。何か思い悩むことでもおありでしょうか、と思いきって訊ねたこともしばしばあったが、その度にA氏はおどけて見せたものだ。そういう兆候が十分にあったからこそ、A氏が失踪したとき、私は特別驚きもしなかった。
 A氏がいなくなった最初のうちこそ、A氏の周囲の人々は大騒ぎしたものであったが、事件や事故による失踪ではなく自身の意思によるものであることが察せられるにつれ、理不尽さややるせなさと引き換えに次第に落ち着きを見せるようになった。今や誰もA氏の名前は口に出さない。A氏の仕事上のポストは新たな中途採用者に代わり、A氏と恋仲にあった女性は今春に別の男性と籍を入れるという。
 時折、私はA氏の住まいだった場所を訪れる。人気のなさは、しんと静まり返った湖の水面を思わせる。その水面にちょんと爪先で触れてみると驚くほど冷たかったのだった。

***

タイトル競作投稿分 ○:1、×:1
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2012年10月18日

午前四時の憂鬱

 生まれた時から私はお姫さまであり、ゆくゆくは世界を統べる王になるのだと、繰り返し繰り返し、言い聞かされて育ってきた。長時間椅子に座り続ける練習も、重たい王錫を振る練習も、威厳を持って命を発する練習も、全て優れた女王になるための鍛錬なのだという。
 優れた女王であるならば、臣下に死罪を言い渡さなければならないこともある。もちろん心苦しいことではあるが、止むを得ないものでもある。
 私が判決を告げると、彼は項垂れた。長い時間が流れた。彼はのろのろと立ち上がり、お手製の絞首台で首を吊った。
 振子時計の振子みたいに死体は揺れていたが、やがて停まった。
 私は椅子に腰かけてそれを見上げていた。
 王錫代わりの麺棒を手放し立ち上がる。
 六畳一間の狭い部屋の中で、私は一体何者なのだろうと考えてしまう。
posted by いさや at 14:18| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月20日

鈴をつける

『鈴をつける』

 私が顎をツンと突き出すと、彼は蚊の鳴くような音のモーター音を鳴らして、そろり、とアームを伸ばした。その指先で摘んでいるのは、豆粒よりも小さな鈴のついたチョーカー。ちりん、ちりん、とその居場所を彼に語りかける。
「大丈夫、怖くない」
 上手にチョーカーを結べたら、彼にキスしてあげようと思う。それもとびっきりの!

***

 タイトル競作に出し損ねた何か。
 続きを読む
posted by いさや at 23:18| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月10日

東京ヒズミランド

 夢も魔法もない世界と聞いて、正直に言えばとても期待していたのだ。望めば叶う世界は甘ったるすぎて、お菓子は食べすぎると胸やけを起こすように、私にはもうおなかいっぱいだったのだ−−なーんてことを言うと、女の子たちはせっせと反論を試みる。結局のところ、隣の芝生が青く見えたに過ぎないことを、私は転校一日目にして思い知った。

 人が嘔吐する瞬間って面白い。
 男も女も老いも若きも、みんな一様に目を白黒させ、グッ、だか、ゲッ、だか呻くのだ。そしてびちゃびちゃと白色茶色、色とりどりのゲロを吐く。何が楽しくて悲しいのか知らないけど、みんなげろげろ吐く。「大丈夫ですか」と声を掛けてペットボトルの水を差しだしても、彼らは私に気付かないか遠慮するかで、私が彼らの背中を擦れる機会はほとんどない。道行く人も見て見ぬふり。でも、そんな人々のおなかにも同じようなゲロがぐるぐる渦巻いているのだろうと考えると、私は妙な心地になる。そういう人たちが群れて海を埋め立てたり鉄筋コンクリートでビルを建てたりするのだ。働き蟻よろしく重たい荷物を抱えて右往左往。それであの七色のネオンの海ができるのだから、とても不思議なことだと思う。

***

タイトル競作。○:3、△:1、×:1

以下、long ver.続きを読む
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2012年04月24日

砂時計の国

『砂時計の国』

 高さ3cmの小さな砂時計の中には宇宙が詰まっている。きっかり3分間の寿命だ。その度に砂時計の国は滅亡と再生を迎え、人々は記憶と歴史を失い創造する。
posted by いさや at 10:10| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あるホームランヒッターの話

『あるホームランヒッターの話』

 とどのつまりは、私の不注意が原因だったと思うのですが、ある試合でホームランを打ったときに、球が私の魂も乗せてかっ飛んでいってしまったのです。呆けたように立ちつくしてしまいました。最高の一打と言えば聞こえはいいかもしれませんが、結局のところ、私は私を失ってしまいました。その私は今どこにいるのだろうと考えると、もしかしたら、ある野球少年の部屋の棚の上かもしれません。それはそれで悪くはないものだとは思うのですけどね。
posted by いさや at 10:09| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人の一部を愛するということ

『人の一部を愛するということ』

 僕は彼女の形の良い右手が好きだったので、交際を申し出たところ、彼女も僕の左手が好きだったと言うではないか。お互い照れながら握手した。僕の左手と彼女の右手は仲良く歩きだす。残された僕たちは「じゃあね」と片手を上げて別れた。
posted by いさや at 10:09| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月01日

告白

『告白』

 春の夜に降る雨というものは風情があって良いものだ。深夜零時、私は床に入るまでのひと時を読書で過ごしている。手元にはすっかり冷めてしまったコーヒー。

 ――居た堪れなくなって顔を上げてみると、部屋の静けさにひどく驚く。こんなにも静かだったのかと。目で嗅いだ黒胡椒の香りを私の鼻は知らないし、目で触れた娘の手の柔らかさも私の肌は知らない。ましてや目で聞いた娘の告白など私の耳が知っているはずがない。まつ毛や唇があんなにも震えていたというのに。
 時計はもう一時半を示そうとしていた。明りを消して毛布を被る。目を瞑ればまぶたの裏にまつ毛や唇の震えが見えて、私は嫌な気持ちになる。

***

 タイトル競作の未投稿分。原因は、遅刻。
posted by いさや at 23:54| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月28日

深海魚

『深海魚』

 恐竜図鑑を抱えて眠る時、私は一匹の深海魚になったような心地になる。柔らかい毛布が私を包み、視界は閉ざされ、自分の心音しかせず、自分の呼気のにおいしかしない。唯一、ままに動けるのが舌である。舌である私はぬらりと口蓋を抜け出し、胸に抱いた本の背表紙に沿って泳ぎ下る。深海魚もきっと、こんな真っ暗な海を泳ぐのだろうと思いながら。
 恐竜図鑑は両手で抱える程度の大きさであるが、舌である私にとってそれは校庭くらい広く感じるものだ。どこから読み始めれば良いものか。しかし迷う間もなく紙面に触れた傍から物語は始まっているのだ。私は空気を泳ぐ透明な魚になって、隕石が降り注ぎ火山が火を吹く様を見下ろしている。恐竜どもが群れを成して逃げ惑う。やがて彼らが死に絶え化石になるまで、私は時間の海を、ゆらりゆらりと泳いでいる。
posted by いさや at 21:37| Comment(1) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月21日

『煙』

 我が指導教官の紹介で、会議の受付事務を手伝うことになった。
 当日は見事な冬晴れの日であった。午後零時半、開場する。路地裏のおんぼろビルの三階でどんな会議をやるのかしらん、と思案する。ppt資料のタイトルは『第二回もくもく大会』とあるから、愛煙家の集いか。首を傾げていると階下から甘い香りの煙が立ち上り、間もなく我が指導教官が現れた。大きな煙管を片手に煙をくゆらせる。火災警報装置、はついてないらしい。「励みたまえよ」と我が指導教官は記帳し会場内へ入っていく。それから続々と煙を吹かす老若男女がやってきた。
 午後一時、会議が始まる。暇になる。しかし観音開きの鉄扉の向こうは喧々諤々の様相のようだった。午後二時、休憩。扉が開くと大量の白煙と共に汗だくの参加者達が一斉に飛び出した。
 そして午後三時を過ぎた頃、拍手が鳴り響く。扉が開く。視界を奪われるほどの煙、煙、煙。思わず咳込み、腰を屈めつつ換気扇を手探りでつける。
「曲者じゃあ!」
 ぎゃあぎゃあ、わあわあ、阿鼻叫喚である。
 しかし次第に声は静まっていき、そろそろと目を開けるとそこには誰もいない。
 頭を落ち着かせる。
 ええと、とりあえず、あれだ。
 バイト代だけは欲しい。

***

 タイトル競作に出さなかったもの。今朝書いたのだから、いわゆる〆切に間に合わずというものです。
 しかしこれは詰め込み過ぎ。
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2012年02月14日

霧に沈む島

『霧に沈む島』

 香港雀はダクトの熱で暖を取る。

***

 という旅行紀文。
 今月の頭に、所用で香港まで行ってきたのだった。
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【ひかり町ガイドブック】光板製造工場/革命前夜

【学ぶ】
『光板製造工場』
 ひかり町の一角には光板(こうはん)と呼ばれる素材を作る工場があります。光は一兆分の一に圧縮すると固体に似た性質を持つようになるのです。そうして圧縮したものを光板と呼びます。光板は常に光を帯びており、その強さや色は圧縮の際に混ぜるレアメタルの種類と量で調整可能です。光板をふんだんに使った家を建てることが、ひかり町での長者の証でした。


「ものがたり」
『革命前夜』
 K博士の研究はいよいよ総仕上げを迎えていた。研究が完成すれば、光板の量産体制を確立することができる。
 三日三晩、K博士は実験を繰り返す。その様子を陰で見守るのはT女史である。不意に、女史のイヤホンに部下からの報告が入る。女史はマイクに素早く指示を出した。

 博士の研究を快く思わない者は少なくない。光板が量産可能になれば相対的にその価値が損なわれるためだ。
 闇社会は強大である。
 K博士の命を狙う者がいる。研究設備を破壊せんとする者がいる。あるいは、政治的手段で博士の研究資金の凍結を図る者もいる。何百、何千という悪意がK博士を取り囲んでいた。

 ――圧縮機の重低音が止む。
 博士は取っ手を握り、分厚い鉛の蓋をゆっくり開く――それを待ちきれない生まれたての光が、溢れ、溢れ、溢れる。
 博士は光の詰まった圧縮機の中にピンセットを沈めていく。

***

 2012年1月16日に行われた超短編イベント「西崎憲さんと語る「可能性の文学」の歩き方」の中の一企画に寄稿。詳細はこちら

 建築材はその都市を雰囲気を決定する最たるものだと思うので攻めてみたのだった。
posted by いさや at 01:55| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月30日

K

『K』

 Kは誰よりも勇敢で賢く優しくて、僕の親友だ。Kは僕の想像だったが、全然問題じゃなかった。僕たちはあらゆる場所に、望みさえすればいつでも行けた。砂漠を渡るキャラバンにもなれた。嵐に立ち向かう船団にもなれた。ジャングルの王者にだってなれた。
 ある日、Kは僕に小さな鍵を見せてくれた。金色の、ぴかぴかと光る鍵だった。僕はそれが怖ろしくて、「捨ててよ!」と怒鳴った。Kは淋しそうな顔をして鍵をポケットに入れる。「捨てて!」しかしKは捨ててくれない。僕が掴みかかると、Kは逃げてしまう。すると僕は是が非でもその鍵を捨てなければいけない気がして、Kを追いかけ始めたのだった。
 いくつもドアを蹴破って押し進む中には、砂漠も甲板も熱帯雨林もあった。僕はKに追いつけない。それどころか、時折Kは立ち止まって、僕が考えを改めるのを待っている。しかし僕にはその気がないので、結局また逃げていくのだった。
 そんな鬼ごっこが続いた末に、僕はとうとう崖の端までKを追い詰めた。Kの迫り寄る僕を見る目はとても悲しげで、やっぱりKは僕の親友なのだった。振り返ればもう何もないことぐらい、知っている。それでもやっぱり、僕は嫌なのだ。

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 タイトル競作「K」参加。○:1(2)、△:2
 予想外の大健闘。
 元ネタというかその後の話は、プロフィール欄のWeb拍手ボタンの下の、四角が市松模様になっている部分の、上から二段目。
 別に隠す気はなかったけど隠しページっぽくなっている部分。別に隠す気はないのでこうやって場所を告白しているのであった。
【緩募】(とか言いながらあんまり募集する気もない呟き)
posted by いさや at 00:14| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月17日

ぐしゃ

「ぐしゃ」

 それは初めて聞いた音楽。
 目を逸らすと、「がらくたの分際で人間みたいなふりをするな」と殴られた。

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 タイトル競作 ○:1

 これを書く前くらいに、山本弘「アイの物語」を読んでいたのでそれに大いに影響されたところがあるのだと思います。はい。
 はやかつさんにピンポイントで届いたので、個人的には大勝利。

 メイキングはいずれどこかの段階でやる気と余力があれば。
posted by いさや at 01:08| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする