2013年07月20日

声と音の境界

【声と音の境界 1】

 声とは喉を通じて発せられた音であるから、声は音の一部である。その声のうち、さらに一定の法則に従って調整されたものは、同じく一定の法則を共有する者同士の間では言葉の代替として認識され扱われる。
 言葉が通じる、とは言い換えれば「あなたと私は法則を共有している」ということの確認に他ならない。
 だから我々は言葉が通じることそのものに安堵する。
 たとえばあなたが日本人で、異国の地へ行ったとき、同じく日本語を扱える人と出会ったときに感じる安堵にそれはとてもよく似ている。

【夢の中の恋人 1】

 夢の中でする恋は純粋な恋心だけでできているので、とても甘酸っぱい。夢から醒めてもまだ仄かに恋心の熱が残っていて、その余韻だけで焦れてしまう。どこかに本当に夢の中で恋した恋人がいるのではないかと思うほどは、しかしながら、私ももう若くない。
 人にはそれぞれ人のことを好きでいられる適性距離というものがある。遠くで見ているから、滅多に会わないから、好きでいられる人というものがいる。その距離を縮めてしまうと今まで見ないで済んでいた部分が見えてしまって、途端に冷めてしまうことも珍しくない。
 夢で恋した恋人は大抵そういうものだ。
 姿形もおぼろげで、どんな声をしていたかなんて目が醒めたときにはほとんど忘れてしまっている。しかし焼けるような感情だけは生々しい。
 私が本当に恋しているのは、そういう生々しい感情である。夢の中の恋人はそういう感情が宿るための偶像に過ぎない。私は偶像に恋をする。偶像はその場から動かないのが良い。距離を自分で決められる。

 そんな夢で目覚められた日は幸せである反面、少なくとも午前中はほとんど頭が働かない。
 夢の中で経験した感情を反芻する。言葉はいらない。断片的に思い浮かぶ映像群が、強いて言えば言葉の代わりである。徒労と知りつつも映像群を写真として記憶に収めるのだ。

 午前10時を過ぎてようやく身を起こす。
 簡単に身支度を整えたら家を出る。
 夢の中の恋人への恋慕を秘めたまま、現実の恋人とデートをする。

【声と音の境界 2】

 声と音の境界について考えてみよう。
 既に述べた通り、声とは音の一部であり、一部の声は一定の法則を共有する者の間では言葉の代替として使われる。
 議論の単純化のために、ここでは一定の法則に基づく声のみを「声」として言及し定義しよう。裏を返せば、一定の法則に基づかない声は、たとえ人の喉を震わせて発せられたものであっても「声」には含まない。あくまでそれは「声」ではないただの音である。
 このような定義を行った時点で既に解が半分出たようなものであるが、声と音の境界がどこにあるかと言えば、それは一定の法則の有無である。
 一定の法則に従って発音された一定の意味を持つ単語は、その法則を共有するような人の頭に私がその単語を発したという情報が伝わる。
「りんご」
 と私が言えば、私と法則を共有するあなたは、りんごを思い浮かべる。赤くて甘い果物を思い浮かべる。
「げほな」
 と私が言っても、あなたはきっとおそらく何も思い浮かべられない。数多の無理やりな前提を置けば解釈できるかもしれないが、直接的には何もわからない。それは、げほな、という音で発せられる語は私とあなたが共有する言葉の辞書には含まれていないからだ。だから私が「げほな」と言っても、大抵の場合、あなたはそれをただの音と認識する。もちろんあなたも「げほな」と発音することはできる。しかし口にしてみて明らかであろうが、それはただの雑音である。
 声が声としてあなたに伝わるためには、私とあなたはまずお互いを知るところから始めないといけない。
 私とあなたに必要なのは、究極的には9年間の義務教育ではなく、ある対象について言及する時はこのように述べる、という法則の共有である。

【南国の流刑島の少女 1】

 喉を潰された少女は遠い南国の流刑島に幽閉された。
 最後に少女が人の姿を見たのはもう3日も前のことで、彼は疫病にかかっていた。顔中に黒色の斑点を浮かべ、少女に呪詛を呟きながら血を吐き息絶えた。しかし残念なことに、少女に言葉が通じなかったので、少女にとってはその呪詛はただの音でしかなかった。
 牢の中に取り残された少女は、這い回る鼠を捕えて飢えを凌ぐ。鼠の生き血はぞっとするほど不味かったが、それでも食べなければ少女は生きていけなかった。
 日が昇り沈む。入れ違いでやってくる夜。月が昇って沈む。
 眠りにつく度に、もう自分は目覚めないのではないかと少女は怖くなる。しかし、このままどこにも行けないのなら、いっそ目覚めないのも楽で良いのではないか。
 そんなことを考えているうちに眠りにつき、残念なことに少女は目を覚ましてしまう。
 せめて最後に何か残せればと思うのだが、石壁は固く何も刻むことができない。

 壁に背もたれ、胡乱な瞳で鉄格子から空を見上げる。
 そのとき不意に気付く。
 鉄格子の長さが不ぞろいであることに。

 少女は立ち上がり、疑い半分で鉄格子を鉄皿で叩いた。
 キン、キン、と甲高い音ではあったが、その音には多少の高低があった。
 もはや遠い昔に思える頃に学んだ音楽を思い出す。
 記憶の中の音楽と今発することができる音は同じではないけど、しかしそれに近いものはできる。

 ――わたしは、歌をうたえる。

 背筋が凍りつくようだった。
 歌をうたえる、歌をうたえる、歌をうたえる!
 少女は鉄格子をひたすら叩く。叩きながら言語体系を築き上げる。この音の組合せはこういう意味、こっちの場合はああいう意味。

 言いたいこと、叫びたいこと、ありったけを込めて鉄格子を叩き、二日後少女も息絶えた。
 南国の流刑島は静かになった。

【声と音の境界 3】

 私が声だと思っているものは、果たして本当にあなたにとっても声だろうか。
 端的に問おう。
 私の声はあなたに届いているだろうか?

【夢の中の恋人 2】

 案の定、デートは最悪だった。
 私は終始上の空で、そのことに恋人が腹を立てたのである。だから私が悪い。まあ、それはいい。
 悲しかったのは恋人の言葉が全然耳に入ってこないことだった。悲しいと言うと多少語弊があるかもしれない。正確には、恋人が何を言っているのかが全く理解できなかった。私にとってそれはただの音に過ぎなかった。音でしかないと思ってしまうことに驚いた。

 家に帰ってから携帯電話を見てみると、メールや電話の着信、留守番電話が大量に来ていた。見なくても内容は大体分かる。考えるのも嫌だったので、全部消した。
 着替えもそこそこにベッドに潜りこむ。
 しかしもう夢を見ることはできなかった。

【声と音の境界 4】

 声と音の境界が、私とあなたの間で共有される法則にあるのだとするならば、なぜそのような法則が存在するのだろうか。あるいは、なぜそのような法則が存在しなければならないのか。
 私が声を音ではなく声として発するのは、あなたに何かを伝えるためである。
 私が声を音ではなく声として理解するのは、あなたが私に何かを伝えたがっているという意思を汲むからである。
 互いを知り知られたいという意思が前提にあって初めて声と音は区別される。

 ならば理解されることを放棄した声は声となり得るだろうか?

【南国の流刑島の少女 2】

 南国の流刑島には珍しい種類の鳥が生息していた。それは聞いた音を正確に再生することができる鳥で、その精度は鸚鵡の比ではない。
 少女が息絶える最後の瞬間まで歌をうたい続けていたために、その鳥たちはすっかり少女の歌を記憶した。さらに、他に記憶すべき新たな音もなかったため、以後少女の歌は何代にもわたって鳥たちの間で歌い継がれていき、その間に少女の歌が鳥の鳴き声として定着した。

 数世紀が流れ、何も知らない冒険者たちが南国の流刑島にやってくる。

 鬱蒼と茂る原生林の奥深く、冒険者たちは沢のほとりにテントを張り、眠りにつく。
 やがて夜は明け、鳥たちがけたたましくキンキンと鳴き叫ぶ。
「うるさい鳥たちだ」
 と冒険者たちは鳥を撃ち殺そうとしたが、見た目があまりに鮮やかで美しかったので、本国に持ち帰れば金になると考え鳥を乱獲した。

 鳥たちは木箱に詰められて冒険者たちの祖国へ運ばれて行き、南国の美しい鳥として珍重された。
 以来、少女の歌は図らずも多くの人の耳に入ることとなったが、誰もそれを少女の声とは理解しなかった。

【声と音の境界 5】

 結論から言えば、理解されることを放棄した声は声となり得る。それは可能性がゼロではないという意味での「声となり得る」である。
 声は声として聞かれて初めて声となる。言い換えれば、声として聞かれないものはいくら声として発せられても声としてはあなたに認識されない。
 声と音の境界は、究極的には受け手の解釈に一存してしまう。
 声を声と思わなければ、それはただの音である。

 故に二つの示唆が得られる。
 第一に、あなたが声に耳を傾ける姿勢と努力を忘れないでいる限り、声は声としてあなたの耳に届くだろう。そしてもしかしたら、声として発せられなかった音さえも、あなたの耳には声として聞こえることがあるかもしれない。
 第二に、もしあなたの声が私に理解されなかったとしても、私以外の誰かには声として聞こえるかもしれない。私にはあなたが声と思って発しているものはただの音にしか聞こえないけど、いつか誰かがあなたの声を理解してくれるかもしれない。
posted by いさや at 22:17| Comment(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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