2020年07月19日

引っ越しのお知らせ

宗教上の理由で引っ越します。
(新天地:https://siraisa.blogspot.com/

新天地でまたお会いしましょう。


posted by いさや at 15:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

魚と眠る

 くつくつと冷たい水が湧き出る山頂の湖の底で、銀色うろこの魚たちが眠っている。その中で最も若い稚魚は、ずっと昔に岩になった長老が見る夢を見ていた。
 赤く焼けた荒野に屹立する一本の塔。夕日を浴びて赤錆びた塔が天を貫いている。うら若き人間の乙女である長老は塔の頂を目指す。世界を貫く針の尖端となる。そうして世界を貫き、暗黒の果てに見えたのは満月。何もない湖の底だった。静寂と不変を愛した彼女は孤独に微睡んでいた。永遠にも等しい時間が流れる中で彼女は胸に奥底に眠っていた幼き頃の楽しい思い出に出会う。一つ、二つと記憶を思い出す度に、水底を照らす銀色の月明かりから銀色うろこの魚たちは生まれたのだ。
 そうして最後に生まれたのがお前だったのだよ。
 はっと稚魚は目を覚ます。長老はただの岩になっていた。
posted by いさや at 02:24| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

川を下る

 とある夫婦が口減らしのために、十になる息子を舟に乗せて川に捨てた。それから七日後、舟と息子は川上から下ってきた。息子は口いっぱいに飯を頬張りながら以下のように語った。
 両親の姿が見えなくなって以来、右手に山稜、左手に田畑が広がる景色が続いた。寝ても醒めても景色は変わらない。持たせてもらった水と団子も尽き、空腹に耐えかねて川に飛び込もうとしたが、縁に足を掛けたところで不思議とその気が失せた。涙は枯れ果て日を数えるのも諦めた頃、母が自分を見つけてくれて、今に至った。だからこれは死ぬ間際に見ている夢なのだ、どうか醒めないでくれ、と。
 以来息子は他の兄弟の五倍は働き、おかげで家は多少裕福になった。年月は流れ、夫婦が老いて亡くなり、兄弟たちやその子孫たちも亡くなった後も、息子は一睡もすることなく朝から晩まで働き続けている。
posted by いさや at 00:07| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月15日

水晶の額縁

 亡くなる間際、祖母は私を呼び寄せて左眼を覗き込むよう言った。
「中に誰かいる」
「私の初恋の人だよ」
 袴姿の女学生が椅子に座って本を読んでいた。
「失いたく、なかったんだ。だから閉じ込めた。彼女の人生を奪ってしまった」
 彼女がこちらに気づき、唇を動かす。
 私は幸せだったわよさっちゃん。
 そう言ってほほ笑む姿に私の方が恋しそうになった。続きを読む
posted by いさや at 10:12| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月24日

鍵のくに

 空から降り注ぐ無数の鍵が、一晩にわたって屋根や壁のすべてを破壊し尽くした後の朝。ぼくたちは瓦礫と鍵の底から這い出し、まずはお互いの無事を確かめあう。それから金色に輝く鍵たちを見回し、雲一つない空にぽつんと佇む銀色の扉を見上げる。これから始まる途方もない作業に辟易しつつも「よし」と気合を入れる。何事も始めなければ終わらないのだ。
 はるか遠い昔、世界が平らで創造主たる女神とぼくたちの祖先が同じ空の下で暮らしていた時代があったという。しかし祖先は何らかの理由で女神の怒りを買い、世界は階層状の構造に書き換えられて祖先と女神は隔てられたという。しかし慈悲深い女神は祖先を完全に見捨てたというわけでもなく、百年に一度、階層を跨ぐための鍵を我々に与え、いつかの未来にぼくたちと再び会える可能性を残してくれているのだという。
 これが真実の歴史なのか、途方もない作業への意味づけのための創作なのか、誰にもわからない。経緯が何であれ、結局のところぼくたちはこれまでの暮らしの全てを失ったし、こうなったからにはもう銀色の扉を開けられる唯一の鍵を探す以外のやるべきことがないのだ。そしていつかの遠くない未来にきっとぼくたちは言葉と感情を失い、女神が望む子供につくり変えられるだろう。

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posted by いさや at 21:41| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月21日

砂の城

 地球の自転と同じ速さで駆ける列車の窓から見る景色は、文字通り時間が止まっている。夕暮れ時に出発し、日が暮れる寸前で最高速に達してからはだいぶながい時間が経った気がするが、景色は何も変わらない。進行方向に赤黒い太陽を追いかけ、私から見えるその右側を端のない水平線が囲んでいる。凪いだ砂浜に城が建っている。見上げるほど大きいのにまったく景色が変わらないのは、狂った遠近感のせいなのか、呆けた時間感覚のせいなのか。光の当たる面は赤銅色に染まり、影は果てしなく伸びている。
 夕日に照らされたテラスに二人のシルエットが現れる。王子と姫が手を取り合い影を重ね合う。そのまま婚礼の儀が始まり、尖塔の陰から見え隠れする鐘が揺れる。豆粒のような民衆が城の足元で波を起こしている。それはまるで遠い世界の出来事のよう。しかし黒い波は収まるどころかむしろ次第に大きくなり、城にその身を叩きつけるようになる。それからはあっという間だった。城は砂埃を立てて崩壊し、重たい夕日がそう見せたのか、どろりと赤いペンキのような血の海が砂山を凝固させた。
 間もなく目的地に――と車内アナウンス。そのスピーカーが切れて、ようやく私は我に返った。

***

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posted by いさや at 21:29| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月13日

旅行記、十年後

 本棚の整理をしていると昔の旅行記が出てきた。古びたそれは私がまだ旅人だった頃に旅先の記録や思い出を記していたものだった。整理する手を止め、表紙をめくる。少し古びたインクで綴られた最初の一文は、私が旅に出たときのことが記されており、記憶の埃が払われる気がする。
「景色に憧れて旅に出た。遠くの景色が好きで、もっと見たくて、旅に出た」
 声に出してみればまだ若い娘だった頃の自分の背中が脳内に見えてくる。世界というのは未だ見ぬ美しいものに溢れていて、それらに触れたくて私は旅立った。しかし最も尊いものは、そういう風に思わず旅立ってしまうほどに美しいものに憧れる心だったのだろうと今の私は思う。
 実際に旅立ってみると、世界は私の想像以上であると同時に、私が想像だにしなかった醜いものも溢れていると知った。時に傷つき、絶望し、その度に私の心はすり減っていった。もちろん私の心を癒してくれたのはやはりふとした瞬間に出会った美しいものであったのだが、私が本当に悲しくなったのは、様々なものを見聞した結果、美しいものに見慣れてしまったという自覚が出てきてしまったことだった。世界が新鮮味を失い、世界の果てまで知ったような気がしてしまった瞬間、私の旅は終わった――。
 チチチ、と庭で小鳥な鳴いている。気づけば結構な時間が経っていたようだ。日が沈むまではまだ時間はあるが、今日のうちに済ませておきたい仕事はあといくつか残っている。やらなければ。しかし私は、残りの白紙、まだノートの半分も残っている手付かずのページから目を離すことができない。それは選択しなかった未来に対する未練というよりは、私の旅はまだ終わっていないといううすらぼんやりとした手応えによるものだった。
 私の旅はいつでもどこからでも始まる。なぜなら私は旅人だから。無鉄砲にも旅立ったあの頃よりも十年が経って多少の分別はつくようになったかもしれないが私は私以外にはなれない。
 どこへ行こう、何を見に行こう。きっとまだ私は私の心のことを知らない。
 玄関からただいまという声が聞こえた。夫と息子が帰ってきた。旅行記を本棚に戻しかけて、留まる。食卓の隅に置いたまま、二人を迎えに行く。今晩から私は再び筆を執るだろう。

***


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posted by いさや at 08:20| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月07日

月兎のユベロ

  一.
 月兎たちは思い思いに青い地球を見上げていた。真っ暗な宇宙で眩しく輝く地球――月兎たちは宝石を見るような心地でそれを眺めていた。
 月兎のユベロは、他の月兎たちと比べて一際強い好奇心を持っていた。彼はたとえばこんなことを思う。
(あの星はどうしてあんなに青いのだろう)
(あの白いもやもやとしたものは何なのだろう)
 ユベロのつぶらで黒真珠のような瞳に映る地球は、決してただの宝石ではなく、何か伺い知りようもない大きな秘密を持っているもののように見えた。ちょっと強く跳んでみれば届きそうなくらい近くにあるようで、実は全然届かないくらい遠くにあるから、ユベロはいつももどかしい心地になる。
 音も聞こえない、匂いもしない、ただそこにあるだけの大きな秘密は、ゆっくりと回転しながらユベロたちの空に鎮座しているのだった。
 一羽、また一羽と、地球を眺めることに飽きた月兎たちが思い思いの場所に散っていく。
 最後まで残るのはいつもユベロだった。時々思い出したように耳やひげを動かして信号を送ってみるが、返事が来たことはただの一度もなかった。

  二.
 月兎たちのコロニーは月の裏側にある。
 コロニーといってもそれは球状の光の珠であった。直径は月兎数十羽分相当で、地表から月兎一羽分の高さに浮かぶ巨大なものだった。
 年老いた月兎は、ぴょん、と光の珠に飛び込むと、溶けて新たな仔兎として生まれ変わる。生まれたての仔兎はくすんだ茶色であるが、毛皮が日の光を浴びているうちにすっかり白く輝く立派な月兎へと成長し、光の珠に還る頃には珠と同等かそれ以上の白い輝きを身に纏っているのである。
 こうして完全に循環している月兎の社会システムがいつ始まったのか、そしていつ終わるのかは誰にもわからない。
 ユベロは丘の上からコロニーを見下ろしていた。
 ――いつか自分もあそこに還る日が来る。そのとき自分は、溶けて消えて再生産されることに抗わずにいられるのだろうか……?
 豊かな光で満ち満ちた月兎が一羽、軽やかな足取りで月面を駆け、弧を描いてコロニーに飛び込んだ。
 コロニーは、ぼうっ、と一層強く輝き、それからゆっくりと元の明るさにもどっていく。
 そして、新たな月兎がもぞもぞとコロニーの奥で蠢き、注意深く見ていなければ誰も気付けないくらい、ひっそりと生まれ落ちた。
 仔兎は左右を見渡し、耳をピンと立て、ひげを揺らす。自分が為すべきことは何か。使命感にも似た本能で日光が当たる場所へ駆けていく。
 ああ無理だ、とユベロは思う。
 自分は、あんな風に盲目的にはなれない、なれっこない。集めてきた光をコロニーへ誇らしげに還元させて一生を終わらせるなんて、ぞっとする。
 まったくいつからユベロは懐疑的になってしまったのだろうか。考える間でもなく、それは、あの大きな秘密に魅せられた時からだ。一度気付いてしまったのなら、もはやただの月兎ではいられない。

  三.
 月兎たちがユベロを遠ざけるようになったのか、ユベロが離れていったのか定かではないが、いつからかユベロは月兎の群れから孤立するようになった。ユベロに言わせればそれは月兎からの独立であったのだが。
 見晴らしの良い丘を選んでそこを根城とする。起きているときは大体地球を見上げている。爪など何か固いものがあれば、地面に考えていることを書き留めることもできたのかもしれないが、ユベロの丸い手足ではそれも適わないので、意識を集中させて、その目に見えたものやその頭で考えたものの全てを記憶する。
 最も怖ろしいことは、記憶に留めたものを忘れてしまうことではなく、忘れてしまったことを忘れてしまうことだ。
 記憶に穴ができないように、ユベロは記憶を時系列順に思い起こすのだ。そのとき、最初に思い出すのは、視界いっぱいに広がる青い地球だった。あれほど澄んだ青色を、ユベロは他に知らない。今目の前にある青色も十分驚くべきものであるが、最初の記憶にある青色はそれ以上に青かった。
 哲学するユベロの立ち姿は、他の月兎たちにとってはまったく理解し難いものだった。時々、何も知らない仔兎がユベロの近くまで行くが、あの哲学する月兎は自分たちとは異なるものであることを何となく察して、離れていくのだ。

  四.
 ながい月日が流れ、ユベロはすっかり老いた。
 思考は逡巡し、宙に浮かぶ大いなる秘密にはほんの少しも触れなかった。もはや無感動になった憧れを胸に、ユベロは地球を見上げている。
 ユベロはもう自分がながくないことを知っている。どれだけの時間を過ごしたかも憶えてないが、結局ユベロは地球を見上げて思考することしかできなかった。何も成せないまま、何も残せないまま、自分が消えていくということが怖ろしくて悔しい。何かを残そうにも手段がなかった、誰かに伝えようとしてもここにいるのは無関心で無感動な月兎たちだけだった!
 そのとき瞳から流れたのが涙であったことをユベロは知らない。しかし溢れた黒色の涙は、ユベロの白く輝く毛皮を、触れたそばから黒色に染め上げていく。黒色の汚染はじわじわと広がっていき、やがて全身に染み渡った。ユベロは自分の身に起きた変化に気付いていない。
 ユベロはゆっくりと腰を上げた。どうせ最後なのだから、最後くらい月兎の使命に従順になるのも良いのではないか――しかしユベロはすぐに腰を下ろしてしまう。ただの一瞬でさえも、目を逸らしてしまうことがもったいなかったからだ。意識が果てるその最後まで、ユベロはユベロであり続けた。これがユベロの誇りだった。

  五.
 その頃、コロニーで一つの変化が起きていた。
 コロニーは、ぶるっ、と身震いをすると、隠れていた耳や手足を伸ばし、一羽の巨大な月兎になった。
 辺りにいた月兎たちは目覚めた女王に傅き、後に従った。

 月兎の女王はゆったりとした足取りで地球がよく見える丘へ向かう。

 辿りついた丘の先端では、ユベロが凛と鼻先を地球に向けたまま事切れていた。
 女王はしばらくユベロを見下ろした後、ユベロに並んで腰を下ろし、ユベロがそうしていたように地球を見上げる。しかし女王にとってそれは、綺麗な青色の宝石以上のものではなかった。一体何が、このかつて月兎だったものを突き動かしたのか。
 女王は顔をユベロに近付け、口を開くとユベロを丸呑みにしてしまう。
 再び女王は地球を見上げる。ピン、と立てた耳の右側の先端に、うっすらと黒い筋が浮かんだ。女王は青い宝石を飽きるでもなくただひたすら眺めていた。

  六.
 それからはるか未来のこと。
 地球からやってきた月面調査隊は、降り立った月に何の生命の痕跡も見つけられず、月はただの無機質な岩の塊であると結論付けた。

posted by いさや at 20:35| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

秋の牢獄

 罪を犯したのか、あるいは逃避の末に自ら望んだのか、記憶はないけれども私は秋に閉じ込められた。
 まばらに生える木々は皆枯れているが、背は高く、先端はよく晴れた空に吸われて消えている。その空の彼方から雨のように赤や黄色に染まった枯れ葉が降ってくる。歩けばさくさくと乾いた音がする。土の匂いがする。
 遠くから、木を切る音が聞こえる。こーん、こーん、と甲高い音だった。
 音の元を辿ってみると、そこにいたのは木こりの男だった。巨大な背中を丸めて根に近い幹に斧を当てている。やがて木は自重に耐えかねて折れた。その様子を私と男は眺めていた。
「家まで運ぶんだ。手伝ってくれんかね」
 男と二人で長い木を小屋まで運ぶ。運び終えたら男はその場で木を細かく断ち切る。薪にするのかと尋ねたら、そうだと男は答えた。私はその様子を眺めている。男は慣れた手つきで薪を作っている。
 それから数百日、男と暮らした。幾度となく肌を重ねあう間、様々な獣の毛皮を剥ぎ、男と私は冬に備え続けた。しかし冬が訪れる気配はない。
 行為はいつも唐突に始まる。男が私を組み伏せる。その間私は枯れ葉がとめどなく降ってくるのを眺めている。まだ私は埋もれないらしい。

***

「もうすぐオトナの超短編」たなかなつみ選自由題最優秀賞
posted by いさや at 20:33| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

灯火ひとつ

 六角形の閲覧室で本を読む。この図書館にはありとあらゆる書物が収蔵されている。

【任意の自然数n, mについて、n種類の文字を用いたm字の文章はさながらn進法で表現されたm桁の数字とも呼べるものであり、これらは可算無限集合である。もちろんこれらのうち我々にとって意味を成す文章となるものはごく一部であるが、無限から一部を切り取ってもやはりその集合は無限である。】

 ページを捲りながら私はノイズの海を泳いでいる。時折意味を成す単語や文に出会うが、それはすぐにノイズの波に飲まれてしまう。一冊を読み終えた後で心に残るのは一瞬浮かんで消えた単語や文である。それらは私の心を揺蕩いながら居場所を探している。

【物語がnのm乗で表現されるとき、我々が疑似体験する遠い異世界や誰かの心情はnのm乗個以上のものにはならないのだろうか。】

 遠い昔に見つけた一節を思い出す。機械的な文字順列の偶然の産物が物語は有限か無限かの境界を問うていた。それはどこにあるのだろう。きっと、読み手である私の心にあるのだろう。もしも私の心こそが、浮かんで消える偶然に彩りや魂を持たせているならば、それらは集まりいつか大国のレリーフを刻むのだろう。

***

「もうすぐオトナの超短編」松本楽志選兼題(此処ではない何処か)
http://libraryofbabel.info/
posted by いさや at 20:32| 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする